#53 前泊 in 京都 (後編)
(前回の続き)
Mさんは 「怖いっすねぇ…。怖いっすねぇ…」と言っていた。
ぼくのに共感してくれるのはありがたいのだが、この時のMさんの怖がりようはぼくが感じていた恐怖のざっと3倍はあった。
そんなに怖いのならさっさと自分の部屋に帰れば安全なのに…と思ってはいても言葉にはできない。Mさんがこの部屋からいなくなって一人ぼっちになる恐怖に耐えられる自信は持ち合わせていないのだから。
Mさんは「怖いっすね…。怖いっすね…。」と連呼し、
「まさかトイレに誰かいたりしないですよね…」と弱気な態度とは裏腹に、ガバァッ!!とユニットバスの扉を思い切りよく開けていた。
誰かいたらどうすんだよ…と思ってはいても言葉にはできない。中に誰かいたとしても、最初に襲われるのは(ポジション的に)まず間違いなくMさんであり、ぼくはその隙に逃亡することが可能なのだから。
ユニットバスに誰もいない事を確認した後、少し冷静になったぼくらは、フロントの人なら何か事情を知っているかもしれない、と思い立ち電話をかける事にした。
(電話中に誰かに刺されたりしないように、Mさんにはぼくの背後に立ってもらっていた。
その瞬間、357号室には怖がりのおっさんが二人で震えあっていた)
受話器を上げ、9番を押す。
フロント「はい、フロントです。」
長澤 「357号室の長澤です。部屋に入った時にはあった荷物が、小一時間外出してたら消えてたんですけど、何かご存知ですか?」
フロント「あ、はい。それはですね、受付の係りの者が間違って、別のお客様が入られている部屋の鍵を長澤様にお渡ししたみたいなんです。」
長澤 「先客がいたってことですか?」
フロント「でもご安心ください。別の部屋が空いていたので、そのお客様にはそちらに移っていただきました。」
長澤 「じゃあこの部屋はもうぼくが使って大丈夫なんですか?」
フロント「えぇ、そちらのお客様はもう他のお部屋にご案内しましたので。いやぁでもほんと、
空きの部屋があってよかったですよね。」
こんなに同意の求め方が下手な人を未だかつて見たことがなかったぼくは動揺し、「あぁ、まぁ、はぁ。」と世界で一番下手くそな相槌で応酬した。
一利用者の立場であれば、
「どないなっとんねんコラぁ!!なんで俺の部屋に人がおんねん!!!」と怒り狂ってもいいのであろうが、
確かにホテル側目線で見ると「よかったわぁ!空き部屋あったおかげでイレギュラーでも対応できたわぁ!!」と喜べる。
何事もいろんな角度から見なさいよという教訓を忘れかけていたぼくに神様がプレゼントしてくださったのだろう。
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