#16 節分
子は親を選べない。
環境も皮膚の色も目の色も何一つ選ぶ事が出来ず、生まれてくる。
そして本人では変えられない部分を冷やかしたりからかったりする事がいじめや差別であるのだとぼくは思う。
だからぼくは鬼を外へ追い出さない。
鬼だというだけで安易に撃退しない。
トラ柄のパンツを履いた真っ赤な鬼がぼくの部屋のインターホンを鳴らしてきたとしても快く玄関の敷居を跨いでもらおう。
全身を包む赤はきっと自然界には存在しない色だ。気持ち悪いなぁときっと思うだろうが、表情にはおくびにも出さない。
来客用のスリッパには赤い染料が付くだろう。いや、スリッパならまだいい。
「ちょっと横になっていい?」なんてソファに横になられると、もう最悪だ。友人が来る度に「あれ?ここで殺人事件あったの?」と尋ねられるソファが出来上がってしまう。
だが決して怒ってはいけない。鬼には罪はないのだから。
鬼だって好きで鬼に生まれてきたわけじゃない。好きで赤くなったわけじゃない。
そもそも、皆「鬼は外」などと豆を撒いているが、どうして豆で鬼を撃退できるのだろう。虎のパンツを履いている事から、鬼の生活に虎の狩猟が欠かせない事は一目瞭然じゃないか。つまり虎より強く、ましてや金棒を片手に持っている相手に対してこちらが豆で戦うのはあまりに非力じゃなかろうか。
鬼vs豆。。。
戦車vsちくわ ぐらいのインパクトだ。勝ち目はない。
人間と仲良くしたい鬼だっているかもしれないし、正しい方角を向いて恵方巻きを食べたって嫌なことが起きる時は起きるのだ。そんな想いからぼくは鬼を追い出すのを6才の頃、卒業した。それ以来、ぼくの異名は "鬼の平八" となった。
いじめ、かっこ悪い。
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