#85 (前半)違和感

最初に違和感を感じたきっかけは、距離感であった。
 
駅へ向かうぼくの前を歩く二人の幼女。

一方はピンク色のリュックサックを背負っており、もう一方は黄色のスカートを履いている。二人の身長とその差から、小学生の低学年であり、そして姉妹であることがうかがえる。二人は仲良くお喋りをしながら夜の住宅街を歩いている。時間的にも学校からの帰路だろう。

そして、その後ろを1メートルも離れず歩くのはスーツ姿の男である。襟足を短く刈りそろえられた短髪はワックスで立てられ天を衝いている。

二人の女の子が何かの拍子で歩みを止めた瞬間、後ろにいたこのスーツ姿の男も足を止め、一定の距離感を保ったように見えたのである。

「あ…怪しい…」
東京で長年暮らし錆び付いた長澤の野生の勘が、20年ぶりぐらいに働いた。

幼女を狙う不審者だろうか。

 

歩行者信号が赤になったため、駅へと続く横断歩道で二人の幼女とスーツ姿の男は歩みを止めた。
ぼくもこの歩行者信号が青くなれば駅へ行き、目的地へと向かわなければならない。
「あなたのこと、警戒しています」というメッセージを伝えるため、ぼくはスーツ姿の男の横に並び、顔を直視した。童顔であったものの、刈り上げられた短髪とスーツ姿からは清潔感が漂っており、営業職にでも就いているのではないかと想像が働いた。20代前半だろうか。30代ではないだろう。ぼくの視線に気づいた彼は、スッと目をそらした。
「ま、普通だよな。誰でも見知らぬ人にガン見されたら目はそらすよな。」と思った次の瞬間、ぼくを第二の違和感が襲った。彼は手ぶらであった。リュックも鞄も持っていない。右手に持ったビニール傘以外の荷物を何も持っていなかったのだ。

「…いや、でもあり得るよな…。邪魔な荷物を全部会社に置いてきたってことも…。」
感じた違和感を、なぜか自身で弁明するぼく。令和になって最もどうでもいい自問自答が生まれた。

   
歩行者信号が青になる。
ぼくはすぐには歩み出なかった。先にスーツ姿の男を泳がせ、動向を見守ろうという魂胆である。
しかし、スーツ姿の男もなかなか歩き出さない。何かを待っているようだ。
目の前にいる二人の女児は、お喋りに夢中で、信号が青になった事に気づいていない。

其の内、人の波で青信号になった事に気づいた二人は慌てて走って横断歩道を渡った。

ぼくの疑問が確信に変わったのは次の瞬間である。
先ほどまで足に根が生えたように動かなかったスーツの男も走ったのである。
決まりだ。不審者だ。
ぼくは不審者を初めて生で見るミーハー気分に浸る間もなく、次の選択を迫られた。

 

この横断歩道を渡り切って、まっすぐ駅へ向かうか。
それとも、駅の手前で曲がった幼女とスーツの男(以下、「カリアゲ」)を追うか。

 

今日はボイストレーニングの日だ。コーチを変えてから、今までのコーチがいかに自分と相性が合わなかったかを思い知らされるほど、ぐんぐん自分が上達するのがわかるこのレッスンをぼくは好んでいる。1回7,000円がかかるものの、それだけの価値をぼくは感じていた。

ボイトレが始まるまでに必要な準備の時間を計算しても、幸い1時間弱の猶予はあった。

幼女とカリアゲの後を追って、幼女の安全を確認したいと思った。1時間あればそれができるだろう。
逆に今、後を追っておかないとモヤモヤが続く。それだけならまだいい。モヤモヤはきっと時間で風化する。
だが、もし翌日の新聞で「静寂な住宅街で、二人の女児が被害者に!」という見出しの新聞が並び、とくダネあたりで「女児を追う不審者に誰も気付かないなんて、東京の闇ですよねぇ」と小倉さんにコメントされようものなら、ぼくはきっと彼女たちを救えなかったことを一生後悔するだろうし、もう二度と笑ってアマタツの天気予報を見れなくなってしまうのだろう。これからずっとめざまし天気予報で妥協する人生を思うと背筋が凍った。


ぼくは駅へと続く階段の手前で左に折れ、
姉妹とカリアゲの後を追った。


(長いので続く)

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日本のインプロバイザー・長澤英知の公式HP。 インプロ / 俳優 / MC / ナレーターなどの活動を行う。

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