#57 国境なき医師団と出逢えたこと。
2016年4月、熊本地震。
ぼくが育った街・熊本を大きな地震が襲った。
実家にはヒビが入りぼくの両親が車中泊を強いられていた頃、ぼくは私用でたまたま福岡に居た。
些細なことでもいい、なにかできることをやりたいという強い衝動に駆られたぼくは、レンタカーで両親の元まで物資を届けに行こうとしたものの、レンタカー店のチョビヒゲを生やしたオジさんに「今は渋滞がひどく、車で熊本へは行くのは不可能だよ。4時間かかってもたどり着けない人だっている。国に任せたほうがいい。」と言われ断念した。渋滞のせいで被災者に本当に必要なものが届けられないという事が東日本大震災の際に起きており、素人が半端に関わると事態は余計に悪化すると知っていたぼくはおとなしくする事を決めた。些細な事さえ行う事を許されなかった。
隣の県で不安と闘っている親を想い、
救いの手を差し伸べられない自分を呪い、
泣き、おめおめと東京へ戻った。
ぶつけようのない苛立ちは、レンタカーの親父のチョビヒゲを毟り取る事で消化させようとした(不発に終わった)。
ぼくがぼんやりと社会貢献というものを考えるようになったのはそれからだ。
表現者としての自分の能力を高め続けることにしか興味を持てなかったそれまでは、全く興味を持てなかった分野である。
助けに行きたい想いはあるものの、ぼくの身体は(こう見えても)一つしかなく、自分の生活を確保するのに精一杯。具体的に何をすればいいんだろうかと迷うだけで、目の前の事に忙殺され時間が過ぎていく。
どれほど崇高な気持ちであってもアクションが伴わなければそれは醜い。
何をすればいいのかもわからず行動にも移せない自分への罪悪感が日毎に膨らんでいた。
ぼくが東京に戻った後、福岡の親戚がぼくの両親をサポートしたという話を聞き、その罪悪感は加速度的に増していった。
ぼくが東京で表現活動をすることの意味はあるのか。考える時間が増えた。
そして思い至ったのが寄付である。
表現活動で得た報酬(ギャランティ)の5%を慈善団体に寄付すること。
この形でしか援助をできない事に負い目を感じながらも、何もしないよりは幾分かマシだろうという想いのもと、この目標を立てた。
そして今回、タカラッシュさんが「国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres。通称MSF)」とコラボするというので、そのMCをさせていただく事になった。
MSFのスタッフの方と喋って当事者のお話を聞かせてもらったり、イベント後に流れる動画を見たりしながら、少しずつ彼らの活動を知っていった。今回初めて知ったのだが、熊本大震災の時にもMSFは動いてくれていたらしい。
独立・中立・公平という信条のもと、区別なく等しく人の命を救おうとする活動を素晴らしいと感じた。5%の寄付は国境なき医師団へする事に決めた。
毎公演後、MSF広報部の那須さん、もしくは今城さんがお客さんに向けてMSFの活動や現状を伝える時間がある。
「自分にも何かできる事があるんじゃないかと思った方。ボランティアとして活動する事はもちろんですが、寄付をしていただく事。これも我々の力になります。」
この言葉に救われた気がした。
やらないよりはマシだろうと思って引け目を感じながらやっていた寄付を「いやそれ価値ありますよ助かってますよ」と言ってもらえた。
さらにこう続く。
「MSFの存在を周囲に知らせる事も我々の力になります」。
世界で45億人いると言われる、ぼくのこのブログを読んでいる方々の目に触れさせるのも立派な証言活動であるとのこと。
ぼくはきっと現地へ赴くことはできない。
本当にやりたいことはそれではないから。
でも何かできる事はしたいという気持ちに嘘はない。
それを寄付や広報という形で協力することで、現地へ行ってくれる人に想いを乗せることはできる。
適材適所なのだと思う。
それを成せる技術や能力・覚悟がある人がいて、それらを持ち合わせていない人々でもサポートはできる。サポートさせてもらえることで、想いは救われる。サポートする側もされる側も相互扶助。
3年前、両親に差し伸べることができなかった手で、今べつの人を救っている。
そう思えるようになったのは本イベントのおかげである。
人を楽しませ、感動させて得たお金で、救いを必要としている人に手を差し伸べる。ぼくが人に誇れるものの一つである。
今回、この体験をさせてくださった方々に感謝。意義のある活動をさせていただいている。
残るはこの土日の大阪公演のみ。MSFが言わんとしていることを、楽しさと緊張感を持って多くの人に伝えていきたい。
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