#20 ラーメン屋の騒動から感じる事
当事者間でもうすでに解決している事を、第三者の野次馬が騒ぎ立てて、
徒に長引かせるのはなぜ?
野次馬たちの中では何が起こっているのだろう。何を欲しているのだろう。
一体感?正義感?優越感?
大人になっても過ちは起こす。
その過ちとしっかり向き合って反省し二度としないと誓ったのであれば、誰でももう一度チャレンジしていいと思う。皆がその権利を持っている筈である。
野次馬たちが揃いも揃ってボッコボコにして心を徹底的に叩き折る必要は無い。
人の失敗を許せないのであれば、自分も失敗をしないように過ごしてしまう。
失敗を恐れて安全で無難な道ばかりを選択し続ける事で、息苦しくなってしまう。
その道を踏み外して失敗してしまった人を叩く事で、その苦しさから逃れようとする。
人を攻撃している間は、自分が何かを失敗する恐怖から逃れていられるから。
そしてボコボコにされて瀕死状態のターゲットを見て「やっぱり失敗はできないよなぁ」と、恐怖とセットで再確認する。
そんな負の連鎖が起きているように感じる。
いつか読んだ本だったかツイッターだったか忘れてしまったが、
「日本の子育ては "人に迷惑をかけてはいけないよ" スタイル。
対して、インドの子育ては "あんたは生きてるだけでいろんな人に迷惑をかけているんだから、あんたも誰かからかけられた迷惑は許してあげなさい" スタイル。」
という記載があり、将来子育てはインドでするべきかなぁと持ったのを思い出した。
(ご年配の方にこれを話したら、「それはそうだよ、だってインドはヒンドゥー教だから」とちょっと意味のわかりにくい正当化をドヤ顔でされたのもセットで思い出した)
高校時代、喫煙が学校にバレた同級生・山口くんがいた。
ボクシング部だった彼は喫煙がバレた直後、顧問の先生にそれはもうタコ殴りにされていた。
顧問の先生はモハメド・アリよろしく、山口くんを蝶のように舞い蜂のように刺していた。
たいそうでかいスズメバチであったようで、山口くんの顔は倍ぐらいに膨れ上がっていた。
その後、山口くんは退学させられた。
まさに泣きっ面に蜂であった。
退学になった彼はどこで更生する機会を得られるのだろう。
校則というルールから外れた生徒は容赦なく退学させられ、大人にとって教育しやすい子どもたちだけが残る。
抑圧されて育った生徒が成長して大人になり、同じ教育を自分の子らに行う。
そうやって社会全体が窮屈なものになっていく。
ぼくも過ちを数多く起こして生きてきたし、これからも更に多くの過ちで多くの人に迷惑をかけていくであろうという事を考えると、ぼくはあのラーメン屋に石を投げる事はできない。
ぼくにできるのはただ、今はもうYouTuberになった山口くんを見守ることだけだ。
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